歴史文化
諏訪の山城

【経歴】長野県の城郭研究家。1932年生れ。長野県下諏訪町出身、現在は岡谷市湖畔に在住。諏訪清陵高等学校を経て、信州大学教育学部卒業。茅野市永明小学校長、岡谷市教育委員長を歴任。
現在は、県文化財保護協会諏訪支部顧問。

長野県城郭調査の先駆である『長野県町村誌』『長野県の中世城館跡-分布調査報告書-』をはじめとして、各行政誌などに基づき、幾度に渡り同じ城館に訪問。また、地元の古老に聞き取り調査を実施している。

調査現地では、巻き尺をもって遺構の寸法を計量するなど地道な調査で縄張り図を作成。その研究対象は県内に留まらず、踏査した山城は2,500を超えるという。

『長野郷土史研究会機関誌 長野第218号-特集-北条氏と信濃』(H13.7刊)掲載の論文"「鬼ヶ城」「猿ヶ城」と呼ばれる城跡"において、「県下の山城踏査の中で、敬遠したくなるような城跡がある。その代表的なのが「鬼ヶ城」あるいは「猿ヶ城」と呼ばれているもので、名前だけでも察しがつく。(中略)どこを見ても険しい山ばかりで、よくぞここまで辿り着けたものだと満足感はあったが、二度と行きたいとは思わない山である。」と、回顧している。

(ウィキペディア抜粋・要約)

桑原城(くわばらじょう)

  • ❈ 諏訪市

    桑原城の築城年代は不明である。桓武天皇の皇子有 員親王が上社大祝をついで、神氏と称し、その居館跡とされる御着衣(みそぎ)平は、桑原城の......

武居城(たけいじょう)

  • ❈ 諏訪市

    武居城についての資料は『諏訪古事記』や『信濃国昔姿』『諏訪古城考』等大同小異の表現であり、後世資料であるために、その内容をすべて信じる......

朝倉山城(あさくらやまじょう)

  • 朝倉山城
  • ❈ 茅野市北山湯川・米沢塩沢堺

    武田氏が朝倉山へ狼煙台を置いたという伝承がある。「長野県町村誌」に「塩沢耕地城跡」とあるのがこれで、思うに築出して高き山なれば面て口狼......

鬼場城(おにばじょう)

  • 鬼場城
  • ❈ 茅野市本町・埴原の境界上・鬼場

    築城年代、築城者不明であるが、齢松山城と関連して、諏訪氏の支族矢ヶ崎氏と深い関係があるものと考えられる。天文年中(1532~54)矢崎......

茅野城(ちのじょう)

  • 茅野城
  • ❈ 茅野市宮川西茅野

    前九年の役に参戦した神太為仲は後三年の役にも出陣し、八幡太郎義家の誘いにより大祝の職にありながら、父為信の止めるのも聞かず上洛を企てる......

蔦木城山(つたきじょうやま)

  • 蔦木城山
  • ❈ 富士見町落合上蔦木

    『長野県町村誌』に「城山』として「本村(落合村)上蔦木退(艮か)の方三光寺の上にあり峻坂を攀登する事大約百歩ばかり、東は百々(どど)の......

雀ヶ森(すずめがもり)

  • 雀ヶ森
  • ❈ 原村爼原雀ヶ森

    『諏訪の歴史』(諏訪教育会)によると、元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府滅亡の時に高時の子亀寿丸(後の時行)を奉じて諏訪に逃れ、上社大......

萩倉砦(はぎくらとりで)

  • 下の城・萩倉砦
  • ❈ 下諏訪町東山田内林

    伝承・資料は全くなく不明。位置関係からして、上の城・下の城に関連するもので、同一の築城者によるものと推定する。和合峠への古い道が東山下......

下の城(しものじょう)

  • 下の城・萩倉砦
  • ❈ 下諏訪町東山田

    築城者、城主等についてははっきりしない点が多い。上野序については伝承があるが、霜の条については、『諏訪史跡要項 長地編』に「上の城への......

花岡城(はなおかじょう)

  • 花岡城
  • ❈ 岡谷市湊花岡

    『信濃国昔姿』によると、「花岡村城址」は「往古の城主は知れず、天文の頃は武田信玄の弟左馬介信繁守之聦勢僅五百人斗リ二而籠る」とある。(......

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