歴史文化

朝倉山城(あさくらやまじょう)

《通称・別名》塩沢城(しおざわじょう)

朝倉山城

所在地 茅野市北山湯川・米沢塩沢堺
史跡指定 市史跡
立 地

朝倉山は霧ヶ峰山塊の南端、米沢と塩沢と北山の湯川両地区の境界にある通称大岩鼻の上に位置する。山体は急で中々の要害の地である。東方眼下には湯川城があり。ここから棒道筋や大門道北山浦地方は一望にできるところである。

城主・城歴

武田氏が朝倉山へ狼煙台を置いたという伝承がある。「長野県町村誌」に「塩沢耕地城跡」とあるのがこれで、思うに築出して高き山なれば面て口狼煙台なるべしとある。「信濃国昔姿」や「諏訪古城考」も塩沢村の城跡として狼煙台であろうと似たような記述をしている。天文年間(1532-)塩沢安兵衛なるもの武田信玄に従い信州大門合戦に特功あり、朝倉の城押仰付けらる、その子将監もまた主となり、主家武田氏亡びてより以来塩沢寺を開基し、天正五年没す。寺裏に自然石の墓石が残されている。天正18年(1590年)諏訪頼忠、頼水父子が家康に従って小田原征伐に従軍する際、朝倉山に木を伐らないように言い残して行ったと伝えられ諏訪藩の保護もあって、城跡の保存は良い。

館跡

城郭への登路は塩沢側の牛首地籍からの道が大手筋で、湯川側から勘助道と呼ばれる搦手筋の二道がある。大手の道に沿って御岳講の石造物があり、頂上の主郭には御岳神社の石祠や三十六童子の石塔が土塁上にあり、8月18日の夜、塩沢区の人々が松明を持って参詣するオタキアゲの行事がある。

東の曲輪は見晴らし台と呼ばれる所でここからの眺望は絶景である。狼煙台はここであろう。小規模ながら加工度も高く整っているので、土豪の要害と言うだけでなく、武田氏の手も加えられていると思われる。付近には、越道(こいどう)水の手、東入、城越、横山、大岩鼻、苅立窪(かったてくぼ)扇平、鬼久保、御社宮司、駒返、東横山、枝山、牛首などの地名が残る。

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