歴史文化

蔦木城山(つたきじょうやま)

蔦木城山

蔦木城山

所在地 富士見町落合上蔦木
立 地

蔦木山城は、三光寺の裏山である。この山は、八ヶ岳の裾野の釜無川の谷へ落ち込む末端にあるために南側谷底の三光寺からの比高が110儘利あるのに対して、北側の台地からは、ほんの10mほどの山である。
子の台地一帯は、縄文時代からの移籍が多く、井戸尻遺跡は北川から600mである。また、円山狼煙台と伝える山は、北方500mの至近にあり、先達城は北東1.8kmである。登矢ヶ峰は釜無川の谷中、北西3.5kmの位置にあり、よく見通せる。
標高846.2m 比高118m 背後10m

城主・城歴

『長野県町村誌』に「城山』として「本村(落合村)上蔦木退(艮か)の方三光寺の上にあり峻坂を攀登する事大約百歩ばかり、東は百々(どど)の川沢を覗き、南西は釜水を夾て馬蹄を留め、甲信両国の咽喉たるべく伝え道ふ武田の猛将教来石民部少輔出砦の跡なり。後ろに円山ありて本城へ通ずる烽火の場なりと。又更に甲国一望の地にして、日は毎朝峯に座し、月は世々七里巌窟(七里岩と称するは信州境より釜無川に沿し韮崎迄接く高十四丈、巌突画くが如し)を覬ふ熙々たる雲形、洋々たる水光、天を幕とし、地を席とする所樵夫も慈に到て斧を捨て、牧童之が為に牛を止む。最も騒人の感ずる所、殆ど天地化育の地と云うべき所なり。」と。
『信濃名勝図誌』によると、「伝ヘ曰ク教来石民部少輔出砦ノ跡ナリト 後ニ円山本城ヘ通ズル烽火台地跡トナス…」とあり、ここが世にいう蔦木合戦の地としている。蔦木合戦については、他に記録や伝承が無いためにそのまま信じられない。

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