歴史文化

鬼場城(おにばじょう)

《通称・別名》矢ケ崎城(やがさきじょう)

鬼場城

所在地 茅野市本町・埴原の境界上・鬼場
立 地

鬼場城は齢松山の北東800mの距離にあり、永明寺山の一支尾根が上川へ落ち込む末端部に位置している。標高908m、比高77mの水平に伸びた小さな山尾根上が砦で、直下に鬼場橋があり、山下の上川との間のほんの数mに満たない狭いところを大門道が通過して、まさに北山浦への関門である。また鬼場城の位置は、上原山を挟んで上原城の背後に当たり、山道で簡単に連絡が取れ棒道筋および大門峠道、更に北山浦一帯の交通路が集中するために、交通の要衝と同時に上原城防衛網の重要な支城になる。

城主・城歴

築城年代、築城者不明であるが、齢松山城と関連して、諏訪氏の支族矢ヶ崎氏と深い関係があるものと考えられる。天文年中(1532~54)矢崎和泉守が此に拠って武田晴信に属したと伝えられている。天文11年に諏訪は頼重が滅びて、武田の統治下に入り上原城が軍事拠点になる。上原城を足場として出兵する時期には大事な任務を担っていたと思われ、狼煙の中継点の一つになっていたことが考えられる。

館跡

鬼場城は小さい物見のような砦であるが立地からして戦国末期まで手を加え使われていた城であろう。集落に近く一部破壊されてしまったが旧態をよく残している方で貴重な遺構と言える。

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