下の城(しものじょう)
所在地 | 下諏訪町東山田 |
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立 地 | 諏訪神社下社春宮の西側。この一帯は、古代より牧場として開かれた所で、まきに関係した地名が残されている。湖の湖尻にある小山が花岡山で、山方が諏訪湖及び天竜川へ落ち込み、西だけが後背の山へ続く。そこを牛首といい、諏訪西方の古道、西街道が通る交通の要衝である。標高965m 比高150m |
城主・城歴 | 築城者、城主等についてははっきりしない点が多い。上野序については伝承があるが、霜の条については、『諏訪史跡要項 長地編』に「上の城への関門と云う程度か、頂上も100坪程度で、空壕の後も唯一条くらいしか見得ない。」とある程度で、他に資料は見当たらない。 上記同書によると上の城は「武田信玄二十四将の一人、横手備中守(彦左衛門)の居城と伝えるもの。鉢伏、蓼科、富士、守屋、御岳などを指呼することの高いところにあって、川中島合戦の折のノロシであったと云う・・・」とある。 武田氏の統治時代になり、諏訪下筋方面の統治や府中小笠原氏との争いや、川中島方面へ戦場が拡大していく中で、古い在所土豪層の要害として手を加えられ、一定の任務をもって使われたのではないかと考えられよう。 |