歴史文化

茅野城(ちのじょう)

《通称・別名》駒形城(こまがたじょう)

茅野城

所在地 茅野市宮川西茅野
立 地

茅野城は西茅野集落のすぐ裏にある山尾根末端の小山にある。後背の尾根筋、沢筋を辿れば、御天城に至り、、伊那の藤沢へ山道が通じている。この山は御岳山と呼ばれ、御岳信仰の石造物があり、長い石段が設けられている。

城主・城歴

前九年の役に参戦した神太為仲は後三年の役にも出陣し、八幡太郎義家の誘いにより大祝の職にありながら、父為信の止めるのも聞かず上洛を企てる。そして美濃の国莚田庄芝原で双六の賽のことで新羅三郎義光と争い自害している。その為仲の経験を生かして、参戦後に為信が茅野城(駒形城)御天城(詰め城)牛首砦を築塁し茅野敦実(一説には茅野次郎敦員)に守らせたという。また久寿年間(1154~55)千野太夫光親の居城であったとも伝えられている。「茅野姓古系図」によると千野太夫光親は千野氏の始祖と言われる人である。茅野は古くから諏訪十郷に数えられ、諏訪氏の一支族千野氏(茅野氏)の出たところである。

館跡

主郭は尾根の先端部分にあり、22×26mの広さの円頂で西側が少し高くなっていて土塁らしい地形もみられる。尾根続きに曲輪らしい平地はあるが、はっきりしない。全体に東面と西面は比高もあり、斜面もある程度急であるのに対して、西面は比高も少なく要害堅固の地形とは言い難い。

水は裏の沢川や背後の尾根を50mほど登ると沢水がある。

造りから見て簡単な砦であり、御岳信仰のために破壊はあったとしても、初期の築塁以後それほど手を加えたとは思えない。居館は西山団地下部の中村にあったようである。麓には駒形神社があり、このことから駒形城の別称がある。

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